1: ぶーんと飛躍するななC⊂( ●▲●)⊃ 2018/12/30(日) 19:38:16.89 ID:CAP_USER9
2018年も残すところあとわずか。今年も多くの方々が、その生涯に終止符を打ちました。元広島内野手・衣笠祥雄さんは4月23日、上行結腸がんで亡くなりました。享年71歳。スポーツ報知では、知られざるエピソードとともに、故人をしのびます。
* * *
記録にも記憶にも残るスーパースターだった。衣笠氏は1979年に巨人・西本聖の死球で肩甲骨を骨折したが、翌日に代打でフルスイングの3球三振。
「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました」と話した。同年の日本シリーズ第7戦で伝説の「江夏の21球」。マウンド上で孤独を感じる左腕に歩み寄り「オレもお前と同じ気持ちだ」と、一緒にユニホームを脱ぐ覚悟を伝えた。名場面での言葉に男気、人間味があふれ出る。
だからこその思いが、広島ファンならずともある。「衣笠監督」はなぜ実現しなかったのか―。
鉄人の無二の親友だった江夏豊氏がこの問いに丁寧に答えた。
「これは謎。いろんな説があるけど…。先代のオーナー(故・松田耕平氏)室には衣笠のものばかり飾られていた。なぜ、あれだけの功労者なのにカープの指導者になれなかったのだろうか。
オレには分からない」と思案を巡らせ、さらにこう続けた。
「ある時、サチに聞いたことがある。『指導者というものに魅力はないんか』と。『ある。やってみたい』と、はっきり言った。でも、監督というのは、自分がやりたいからやれるものでない。サチも何があったのか言わない。他球団のユニホームを着るチャンスは、あるにはあったらしい。即座にお断りしたと。『オレは広島の衣笠だ』ということ。それが、どこのチームなのか聞きもしていないけど」
87年の引退後、指導者として球界に復帰することはついになかった。
縁やタイミング、強すぎた広島愛、理由は一つではないだろう。野球人生もまた、小細工なしのフルスイングだった。
http://news.livedoor.com/article/detail/15811657/
2018年12月30日 11時2分 スポーツ報知
https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783164/rc/2017/06/13/8afe22fb3175fc9fe92df8ce1ee2d71b650d44d2_xlarge.jpg
http://npb.jp/bis/players/71573820.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=TAZTv1Bt75w
衣笠
224: ぶーんと飛躍するななC⊂( ●▲●)⊃ 2018/12/31(月) 02:21:00.84 ID:ExrLenL40
>>1
他球団のユニホームを着るチャンスは、あるにはあったらしい。即座にお断りしたと。
『オレは広島の衣笠だ』ということ。
どこやろう?
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1546166296/ 続きを読む
他球団のユニホームを着るチャンスは、あるにはあったらしい。即座にお断りしたと。
『オレは広島の衣笠だ』ということ。
どこやろう?