1: 風吹けば名無し 2018/08/19(日) 17:40:01.81 ID:CAP_USER9
近年の甲子園で、大阪桐蔭という学校は別格になった感がある。
私は最近、少年硬式野球の取材をしているが、大阪のリトルシニアやボーイズ、ヤングの有望な野球少年に「高校はどこへ行きたい?」と聞くと、別の高校の名前をいくつか出すので「大阪桐蔭は?」と聞いたら、「あそこは無理無理」と大きく手を振って全否定したりする。
大阪桐蔭は全国から選りすぐりの人材が集まる。しかも少数精鋭で部員数は3学年合わせて60数人だから、野球部に入るだけで大変なのだ。
そして甲子園での応援も別格だ。別に音楽の専門家ではないが、聞こえてくる吹奏楽の音が違う。失礼ながら初出場の高校などと比べると、試合前にアルプススタンドから聞こえる音からして、はっきり差がついていたりする。
今季、大阪桐蔭は春夏連覇がかかっている。大阪桐蔭は2012年に1度達成しているから2回目となる。これは史上初。
100回を数える夏の甲子園、90回を数える春の甲子園で「春夏連覇」は7回しかない。育ち盛りの高校生は良くも悪くもどんどん変化していく。どんなに強いチームでも、その強さを1シーズン通して維持するのは至難の業だ。しかもトーナメントは失敗が許されない。
春夏連覇はよほどの実力差があって、しかも運に恵まれないと難しい。
7つの春夏連覇の戦績を見ていこう。
<作新学院(栃木)>
1962春2回戦○5-2久賀(山口)
1962春準々△0-0八幡商(滋賀)延長18回引き分け
1962春準々○2-0八幡商(滋賀)
1962春準決勝○3-2松山商(愛媛)延長16回
1962春決勝○1-0日大三(東京)
1962夏1回戦○2-1気仙沼(東北・宮城)延長11回
1962夏2回戦○7-0慶応(神奈川)
1962夏準々○9-2岐阜商(三岐・岐阜)
1962夏準決勝○2-0中京商(愛知)
1962夏決勝○1-0久留米商(福岡)
戦前は春夏連覇は一度もなし。最初の例は作新学院。大エースの八木沢荘六(のちロッテなど)が春の優勝投手だが、夏前に赤痢にかかったため夏は控え投手の加藤斌(中日)で連覇を果たす。エースが変わって連覇したのはこの一例だけ。
唯一の公立校・箕島には石井毅がいた。
<中京商(愛知)>
1966春1回戦○5-2PL学園(大阪)
1966春2回戦○6-5高鍋(宮崎)
1966春準々○11-2米子東(鳥取)
1966春準決勝○5-4宇部商(山口)延長15回
1966春決勝○1-0土佐(高知)
1966夏1回戦○2-0秋田(西奥羽・秋田)
1966夏2回戦○5-4岡山東商(東中国・岡山)
1966夏準々○4-2桐生(北関東・群馬)
1966夏準決勝○2-1報徳学園(兵庫)
1966夏決勝○3-1松山商(北四国・愛媛)
エースは加藤英夫(近鉄)。サイドスローの技巧派投手だった。しかしプロでは2勝止まり。
<箕島(和歌山)>
1979春2回戦○10-4下関商(山口)
1979春準々○5-1倉吉北(鳥取)
1979春準決勝○4-3PL学園(大阪)延長10回
1979春決勝○8-7浪商(大阪)
1979夏2回戦○7-3札幌商(南北海道)
1979夏3回戦○4-3星稜(石川)延長18回
1979夏準々○4-1城西(東東京)
1979夏準決勝○3-2横浜商(神奈川)
1979夏決勝○4-3池田(徳島)
■唯一の公立高校の春夏連覇。エース石井毅(西武)は、夏3回戦の星稜戦では延長18回を1人で投げぬいた。
<PL学園(大阪)>
1987春1回戦○3-1西日本短大付(福岡)
1987春2回戦○8-0広島商(広島)
1987春準々○3-2帝京(東京)延長11回
1987春準決勝○8-5東海大甲府(山梨)延長14回
1987春決勝○7-1関東一(東京)
1987夏1回戦○7-2中央(群馬)
1987夏2回戦○7-2九州学院(熊本)
1987夏3回戦○4-0高岡商(富山)
1987夏準々○4-1習志野(千葉)
1987夏準決勝○12-5帝京(東東京)
1987夏決勝○5-2常総学院(茨城)
PLは3年に野村弘樹(横浜)、橋本清(巨人)、立浪和義(中日)、片岡篤史(日ハム、阪神)、2年に宮本慎也(ヤクルト)らを擁し、先輩のKK(桑田真澄、清原和博)もできなかった春夏連覇を果たした。PLの全国制覇はこの年が最後。
続きはソースで
http://number.bunshun.jp/articles/-/831617
私は最近、少年硬式野球の取材をしているが、大阪のリトルシニアやボーイズ、ヤングの有望な野球少年に「高校はどこへ行きたい?」と聞くと、別の高校の名前をいくつか出すので「大阪桐蔭は?」と聞いたら、「あそこは無理無理」と大きく手を振って全否定したりする。
大阪桐蔭は全国から選りすぐりの人材が集まる。しかも少数精鋭で部員数は3学年合わせて60数人だから、野球部に入るだけで大変なのだ。
そして甲子園での応援も別格だ。別に音楽の専門家ではないが、聞こえてくる吹奏楽の音が違う。失礼ながら初出場の高校などと比べると、試合前にアルプススタンドから聞こえる音からして、はっきり差がついていたりする。
今季、大阪桐蔭は春夏連覇がかかっている。大阪桐蔭は2012年に1度達成しているから2回目となる。これは史上初。
100回を数える夏の甲子園、90回を数える春の甲子園で「春夏連覇」は7回しかない。育ち盛りの高校生は良くも悪くもどんどん変化していく。どんなに強いチームでも、その強さを1シーズン通して維持するのは至難の業だ。しかもトーナメントは失敗が許されない。
春夏連覇はよほどの実力差があって、しかも運に恵まれないと難しい。
7つの春夏連覇の戦績を見ていこう。
<作新学院(栃木)>
1962春2回戦○5-2久賀(山口)
1962春準々△0-0八幡商(滋賀)延長18回引き分け
1962春準々○2-0八幡商(滋賀)
1962春準決勝○3-2松山商(愛媛)延長16回
1962春決勝○1-0日大三(東京)
1962夏1回戦○2-1気仙沼(東北・宮城)延長11回
1962夏2回戦○7-0慶応(神奈川)
1962夏準々○9-2岐阜商(三岐・岐阜)
1962夏準決勝○2-0中京商(愛知)
1962夏決勝○1-0久留米商(福岡)
戦前は春夏連覇は一度もなし。最初の例は作新学院。大エースの八木沢荘六(のちロッテなど)が春の優勝投手だが、夏前に赤痢にかかったため夏は控え投手の加藤斌(中日)で連覇を果たす。エースが変わって連覇したのはこの一例だけ。
唯一の公立校・箕島には石井毅がいた。
<中京商(愛知)>
1966春1回戦○5-2PL学園(大阪)
1966春2回戦○6-5高鍋(宮崎)
1966春準々○11-2米子東(鳥取)
1966春準決勝○5-4宇部商(山口)延長15回
1966春決勝○1-0土佐(高知)
1966夏1回戦○2-0秋田(西奥羽・秋田)
1966夏2回戦○5-4岡山東商(東中国・岡山)
1966夏準々○4-2桐生(北関東・群馬)
1966夏準決勝○2-1報徳学園(兵庫)
1966夏決勝○3-1松山商(北四国・愛媛)
エースは加藤英夫(近鉄)。サイドスローの技巧派投手だった。しかしプロでは2勝止まり。
<箕島(和歌山)>
1979春2回戦○10-4下関商(山口)
1979春準々○5-1倉吉北(鳥取)
1979春準決勝○4-3PL学園(大阪)延長10回
1979春決勝○8-7浪商(大阪)
1979夏2回戦○7-3札幌商(南北海道)
1979夏3回戦○4-3星稜(石川)延長18回
1979夏準々○4-1城西(東東京)
1979夏準決勝○3-2横浜商(神奈川)
1979夏決勝○4-3池田(徳島)
■唯一の公立高校の春夏連覇。エース石井毅(西武)は、夏3回戦の星稜戦では延長18回を1人で投げぬいた。
<PL学園(大阪)>
1987春1回戦○3-1西日本短大付(福岡)
1987春2回戦○8-0広島商(広島)
1987春準々○3-2帝京(東京)延長11回
1987春準決勝○8-5東海大甲府(山梨)延長14回
1987春決勝○7-1関東一(東京)
1987夏1回戦○7-2中央(群馬)
1987夏2回戦○7-2九州学院(熊本)
1987夏3回戦○4-0高岡商(富山)
1987夏準々○4-1習志野(千葉)
1987夏準決勝○12-5帝京(東東京)
1987夏決勝○5-2常総学院(茨城)
PLは3年に野村弘樹(横浜)、橋本清(巨人)、立浪和義(中日)、片岡篤史(日ハム、阪神)、2年に宮本慎也(ヤクルト)らを擁し、先輩のKK(桑田真澄、清原和博)もできなかった春夏連覇を果たした。PLの全国制覇はこの年が最後。
続きはソースで
http://number.bunshun.jp/articles/-/831617
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