2019年4月11日木曜日

なぜフィルダーは25歳で来日して、26歳でメジャー本塁打王になったのか?/平成助っ人賛歌

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 その同じ号に掲載されたのが、『「週べ」ほっとHotインタビュー』のセシル・フィルダーである。平成が始まったばかりの日本に、25歳の若さで降り立った188センチ、101キロの巨漢スラッガー。87年、88年と2年連続の最下位に沈む村山阪神の救世主として期待されたのは、ブルージェイズの4年間で通算31ホーマーを放ったフィルダーだった。

 あのランディ・バースの背番号44を託され、安芸キャンプでは場外アーチを連発。ブルージェイズ時代は控えで「試合に出られなくなってイライラし、家族にも迷惑をかけた。試合に出られる機会が与えられるから日本行きを決意したんだ。毎日出ることができるんだから……」と切実に語るも、オープン戦では変化球に対応できず“季節外れの扇風機”と酷評されてしまう。

 しかし、開幕すると4月に3本、5月に8本と徐々に本塁打を量産。6月22日のヤクルト戦では2打席連続の19号、20号を放ち、47打点とともに2部門でラリー・パリッシュ(ヤクルト)に並びリーグトップに立つ。7月には月間MVPも受賞。「クレバーな男だよ。自分で狙い球を絞るんだが、それがピタリと当たる」と石井晶打撃コーチも絶賛する男は、東京ドームの看板直撃弾や横浜スタジアムでの160メートル級の場外アーチをかっ飛ばす一方で、恐妻……いや愛妻家としても知られ、ワイフがぐっすり寝ている間に息子プリンス君(2007年にMLBで本塁打王)の朝食を作り食べさせるパパの顔も。四番を張り、“セス”のニックネームでチームにも溶け込み、特に大洋戦では16本塁打と無類の強さを発揮した。

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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190410-00000004-baseballo-base

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