2019年5月2日木曜日

神のお告げ!? 阪神 マイク・グリーンウェルは22年前になぜ突然、帰国したのか?

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1: 風吹けば名無し 2019/05/01(水) 11:45:34.45 ID:3BVicrqd9
低迷阪神の救世主候補

松井秀喜のプロとしてのキャリアは、26年前の大型連休中に始まった。

1993年(平成5年)5月1日に長嶋茂雄監督が一軍初昇格を決断すると、さっそく東京ドームで名将・野村克也率いるヤクルトとの一戦に「七番・左翼」でスタメンデビュー。
第2打席でタイムリー二塁打を放ちプロ初安打・初打点を記録。いきなりお立ち台に上がり、翌2日には一軍7打席目でヤクルト・高津臣吾から弾丸ライナーの一発をライトスタンドに突き刺した。
この巨人vs.ヤクルトのテレビ視聴率は32.2パーセント、9回裏に本塁打をかっ飛ばした午後9時5分の瞬間最高視聴率はなんと39.7パーセントまで達する。
当時、世の中では2週間後に開幕するサッカーのJリーグが大きな話題に。つまり、18歳の松井のホームランにはプロ野球界の未来が託されていたわけだ。

さて、平成助っ人の大型連休の印象的なシーンと言えば、97年の「GWはGW」現象を思い出す野球ファンは多いのではないだろうか? 
22年前、“ゴールデンウィークに猛威をふるったグリーンウェル竜巻”の意味で使われた「GWはGW」と直後の「神のお告げ騒動」とはなんだったのか? 
今回は当時の『週刊ベースボール』をもとにあらためて振り返ってみよう。

マイク・グリーンウェルはレッドソックス一筋、12年間で5度の打率3割、通算打率.303、130本塁打、1400安打という堂々たる成績を残し、97年に阪神が獲得した現役バリバリの大リーガーだ。
来日時、33歳と脂の乗りきった年齢で、もちろん2年連続最下位と低迷するチームの立て直しを期待されての入団だった。
近鉄、西武も獲得レースに参戦し、当初は西武と契約寸前までいったが、阪神が「2年契約、球団史上最高の年俸300万ドル(約3億6000万円)」の好条件を提示して逆転獲得にこぎつける。
同オフにFAの清原和博の獲得に「タテジマをヨコジマに変えてでも」と乗り出すも、巨人との争奪戦に敗れ、最後の救世主候補として選ばれた助っ人スラッガーである。

来日の9年前、週べ1988年9月26日号には「88シーズンを沸かせるビッグ・リーグの主役たち」として、当時25歳のグリーンウェルが紹介されている。
82年ドラフトでレッドソックスに3巡目で指名され入団。87年には大リーグで打率.328、19本塁打、89打点の好成績を残し、10歳上のスター選手ジム・ライスから左翼のポジジョンを奪い取る。
88年はキャリアハイの119打点を記録。間違いなく、グリーンウェルはボストンの若きニューヒーローだった。

そんな男が日本球界へやってくる。大物大リーガーの入団に盛り上がる関西マスコミ。高まるファンの期待。
球団も神戸市内に2戸分の壁をぶち抜いた200平方メートルの超豪華マンションを用意。
今のようにインターネットも普及していなければ、動画サイトもなかったので、新外国人選手の詳細な情報は実際に来日するまで分からない。
2年前に肩を手術し、死球で親指を痛め、慢性的にヒザに故障を抱えることが報じられるのは、もう少し後のことである。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190501-00000003-baseballo-base
5/1(水) 11:01配信


25 マイク・グリーンウェル★「神のお告げ」で去った男


阪神1997ハイライト23 グリーンウェル最後の試合


阪神1997ハイライト19 グリーンウェル、デビュー戦でお立ち台

https://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/fbatter/mike_greenwell.html
成績

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