転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1588119576/
1: 少考さん ★ 2020/04/29(水) 09:19:36.41 ID:TEHSXL649
「サイン盗み」は対岸の火事ではない! 高校野球で見え隠れする“勝利至上主義”の害悪
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200427-00010004-thedigest-base
4/27(月) 16:41配信
アマチュア野球にも“疑惑”は存在
海の向こうで、「サイン伝達」がまた騒ぎ始めている。
先日、MLB機構は2018年の世界一チーム、ボストン・レッドソックスの
サイン盗みについて処分を発表。
彼らが行っていたとされるのは、特定の選手が二塁到達時に相手バッテリーのサインを
打者に伝えていたというものだった。しかし、その前に処罰が下されたヒューストン・アストロズに比べて
量刑は“緩く”、その刑の重さに対しての意見が分かれているのだ。
どこまでが許されて、どこまでが許されないのか。
セカンドランナーがキャッチャーのサインを見ることは避けられない。
しかし、それを伝えるという行為がスポーツマンシップとして正しいかどうかは論じるべきでろう。
件のニュースを眺めていると昨年、日本の高校野球でも話題になった「サイン伝達騒動」を思い出した。
昨春のセンバツ、星稜高(石川県)と習志野高(千葉県)の試合後のインタビューで、
星稜の林和成監督が習志野のサイン盗みを指摘。その後、相手校の控え室に怒鳴り込んで抗議したという騒動があった。
(略)
高校野球でも、やはりサイン伝達が行われている可能性は高い。ただ、この問題が難しいのは、
サイン伝達の証拠は、同じチーム内から告発でもない限り、発覚することはない。疑惑はあっても、それを事実と特定することが難しいのである。
■サイン盗みはスポーツの「本質」から離れる
問題点ははっきりしている。お節介ついでに言わせてもらうと、なぜサイン伝達をしようと考えるのか、である。
答えは簡単だ。「勝つための方法論」だからである。
しかし、こと高校野球の舞台でそれを黙認できないのは、彼らが「育成年代」であるということである。
サイン伝達により球種を知っていても、必ず打てるとは限らない。しかし、有意な立場に立てることは間違いない。
高校球児は技術習得をしている発展途上の時期にある。短期的な“アドバンテージ”を得ても、
将来的にはプラスとならいはずだ。結局のところ、サイン盗み・伝達を「勝つための戦術」と語るのは指導者のエゴであって、選手のことを考えたものではないのである。
また、指導者が意図していなくても、選手たちにそうしむける環境を作っているケースも存在している。
例えば、ある練習試合で「この試合に勝たなければ、帰って練習だ」などとノルマを設定する場合だ。
指揮官は選手にハッパをかけるつもりで出した指示だが、
そのプレッシャーを背追い込んだ選手たちは、「負けてはいけない」「負けると罰が待っている」などと“悪い”発想が派生していくことがある。
「負けられない戦い」と謳うことがかえって選手を追い詰め、
「勝つために何をしてもいい」という思考にまでつながってしまう。そこにはびこるのはやはり、「勝利至上主義」だ。
■スポーツは何のためにやるのか。
そもそも、スポーツは、元々の語源からして「気晴らし」、「楽しいからやる」という意味合いが根本にあったはずだ。
しかし、それがいつしか間違った方向へと舵を切り始めた。
こうしてサイン盗みが話題になった今だからこそ、スポーツの素晴らしさをもう一度、再考すべき時ではないだろうか。
スポーツの素晴らしさ――それは人類の挑戦だと思う。
サインが分かっていても、有意な立場で結果を残すことに醜さが垣間見えても、人類の限界を超えた可能性は見えてこない。
どちらがすごいのか、どちらがスポーツの真の素晴らしさを伝えてくれるのか。
答えは簡単ではないだろうか。
一部省略してますので、全文はソースで
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200427-00010004-thedigest-base
4/27(月) 16:41配信
アマチュア野球にも“疑惑”は存在
海の向こうで、「サイン伝達」がまた騒ぎ始めている。
先日、MLB機構は2018年の世界一チーム、ボストン・レッドソックスの
サイン盗みについて処分を発表。
彼らが行っていたとされるのは、特定の選手が二塁到達時に相手バッテリーのサインを
打者に伝えていたというものだった。しかし、その前に処罰が下されたヒューストン・アストロズに比べて
量刑は“緩く”、その刑の重さに対しての意見が分かれているのだ。
どこまでが許されて、どこまでが許されないのか。
セカンドランナーがキャッチャーのサインを見ることは避けられない。
しかし、それを伝えるという行為がスポーツマンシップとして正しいかどうかは論じるべきでろう。
件のニュースを眺めていると昨年、日本の高校野球でも話題になった「サイン伝達騒動」を思い出した。
昨春のセンバツ、星稜高(石川県)と習志野高(千葉県)の試合後のインタビューで、
星稜の林和成監督が習志野のサイン盗みを指摘。その後、相手校の控え室に怒鳴り込んで抗議したという騒動があった。
(略)
高校野球でも、やはりサイン伝達が行われている可能性は高い。ただ、この問題が難しいのは、
サイン伝達の証拠は、同じチーム内から告発でもない限り、発覚することはない。疑惑はあっても、それを事実と特定することが難しいのである。
■サイン盗みはスポーツの「本質」から離れる
問題点ははっきりしている。お節介ついでに言わせてもらうと、なぜサイン伝達をしようと考えるのか、である。
答えは簡単だ。「勝つための方法論」だからである。
しかし、こと高校野球の舞台でそれを黙認できないのは、彼らが「育成年代」であるということである。
サイン伝達により球種を知っていても、必ず打てるとは限らない。しかし、有意な立場に立てることは間違いない。
高校球児は技術習得をしている発展途上の時期にある。短期的な“アドバンテージ”を得ても、
将来的にはプラスとならいはずだ。結局のところ、サイン盗み・伝達を「勝つための戦術」と語るのは指導者のエゴであって、選手のことを考えたものではないのである。
また、指導者が意図していなくても、選手たちにそうしむける環境を作っているケースも存在している。
例えば、ある練習試合で「この試合に勝たなければ、帰って練習だ」などとノルマを設定する場合だ。
指揮官は選手にハッパをかけるつもりで出した指示だが、
そのプレッシャーを背追い込んだ選手たちは、「負けてはいけない」「負けると罰が待っている」などと“悪い”発想が派生していくことがある。
「負けられない戦い」と謳うことがかえって選手を追い詰め、
「勝つために何をしてもいい」という思考にまでつながってしまう。そこにはびこるのはやはり、「勝利至上主義」だ。
■スポーツは何のためにやるのか。
そもそも、スポーツは、元々の語源からして「気晴らし」、「楽しいからやる」という意味合いが根本にあったはずだ。
しかし、それがいつしか間違った方向へと舵を切り始めた。
こうしてサイン盗みが話題になった今だからこそ、スポーツの素晴らしさをもう一度、再考すべき時ではないだろうか。
スポーツの素晴らしさ――それは人類の挑戦だと思う。
サインが分かっていても、有意な立場で結果を残すことに醜さが垣間見えても、人類の限界を超えた可能性は見えてこない。
どちらがすごいのか、どちらがスポーツの真の素晴らしさを伝えてくれるのか。
答えは簡単ではないだろうか。
一部省略してますので、全文はソースで
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